1991年12月、スレイド・ゴートン上院議員は、任天堂米国法人であるNintendo of America(NOA)の荒川實社長に対してシアトル・マリナーズの買収を要請した。
1992年1月24日、任天堂の山内溥社長が任天堂本社で記者会見を開き、シアトルの投資家グループと「ザ・ベースボール・クラブ・オブ・シアトル」を結成して、シアトル・マリナーズを1億ドルで買収する意向を表明。
5日後の1月29日には、シアトル・マリナーズ球団オーナーに買収を正式に申し入れた。しかし、任天堂が球団のオーナーとなることについて、コラムニストのボブ・グリーンをはじめとした野球関係者からハリウッドの映画会社やロック・フェラー・センターに続いて、日本人がまたアメリカの心を買おうとしているという激しい論調の記事など反対の意見が相次いで上がった。
当時のコミッショナーであるフェイ・ヴィンセントも、当初は任天堂を含むシアトルの投資家グループとの面会を拒絶。さらに、ヴィンセントと敵対関係にあったシカゴ・ホワイトソックスのオーナー、ジェリー・ラインズドルフとの権力争いにも巻き込まれ、交渉は困難を極めた。
4月3日になり、球団オーナーと売買契約書に調印したが、4月8日に行われたメジャーリーグ・オーナーシップ委員会の会議で、買収の承認は保留された。4月30日に行われた会議でも、買収の承認は再び保留された。
6月9日、遂に買収が満場一致で承認された。契約書に調印してから2ヵ月後のことであった。それから2日後の6月11日には「ザ・ベースボール・クラブ・オブ・シアトル」によるシアトル・マリナーズの買収が全オーナー会議でも正式に承認された。
こうして、マリナーズはシアトルからの消滅を免れた。